50周年を記念してTOHOシネマズ日比谷で上映されたシリーズ三部作。夫婦で3日間連続鑑賞!頑張った!パート3はリアルタイムで観れたけど、1と2をスクリーンで観るのは初めて。やっぱり最高だった…。まさに至福の時間…。言葉にならない…。開始2分で売り切れるチケット争奪戦を勝ち抜くことができてほんとによかった。TOHOシネマズ日比谷は千代田線でアクセスいいしキレイだしお気に入りの映画館に認定した。
以下、ネタバレあり!!!
パート1。ゴッドファーザーは家族の物語だ。もう10年近く観てなかったけどほとんどのシーンを覚えてた。好きな映画ランキング不動のNo.1だし若い頃繰り返し観たからなー。今回は4K上映だったからか映像がかなり鮮やかになってた印象。昔観たときは真っ暗でよくわからなかった冒頭の室内シーンもよく見えた気がする。
撮影監督だったゴードン・ウィリスは、上から照明をあてることで意図的に陰影を作り出したんだとか。マーロン・ブランドの目元を影にして目が見えなくしたのもその技法で、当時としては常識はずれの撮影手法だったらしい。脚本、配役、撮影、音楽すべてが完璧、まさに伝説だ。
パート2。昔観たときはちょっと難しい印象だったけど、あらためて観るとそんなことはなかった。現代と過去を行き来する展開も違和感ないし、現代の人間関係もすっと腹落ちするものだった。ファミリーを立ち上げ躍動していく若きビトーと、ファミリーの崩壊をくい止めようと藻掻くマイケルの対比が切ない。
若きビトーを演じるデ・ニーロも雰囲気ありまくりで最高なんだけど、やっぱりマーロン・ブランドにやってほしかった。1ではフケメイクだったけどちょっと若作りすれば十分やれただろうに。そして、個人的な白眉はやっぱりマイケルだ。あの眼力。自分の家族をファミリーを守るためだけに邁進する孤独なマイケルの生きざまに圧倒される。フレドの裏切りを知り「残念だ」とキスをするシーンは胸が痛すぎる。ラストのフレド粛清シーンとかもう涙がとまらんよ…。
パート3。前二作と比べて落ちると評されるパート3だけど俺は嫌いじゃなくて、むしろマイケルの晩年と最期を看取る意味で好きな作品ではあった。でもあらためて観てみるとけっこう違和感があって。マイケル弱り過ぎじゃね?と。時間軸的にそこまで年老いてないはずで、1から2作目にいたるマイケルはどこへいったんだろう?
マイケルは冷静かつ冷酷な現実主義者で鋼のメンタルを擁するゴッドファーザーだったはず。なのにパート3ではやたらと貧弱な描写が続く。あれだけ突き放してたケイにすり寄るのはないよ。なんならこれまでの行いを懺悔せんばかりの行動まで。ありえない。そんなのマイケルじゃない。マイケルが選んだ人生、その覚悟が台無しだよ…。
もちろんいい作品だし好きだけど、マイケルの人生を描くシリーズ最終章としては違和感を感じる作品だなと再認識。
ちなみに、上映されたパート3はコッポラ監督が再編集したもので、タイトルも『ゴッドファーザー〈最終章〉:マイケル・コルレオーネの最期』でいわゆる再編集版だ。オリジナル版も10年以上前に観ていらだから比較しづらいけど、結論としてはオリジナル版のほうが好みだ。再編集版の気になりポイントは大きく3つ。
まず、冒頭で大司教との取引から始まるのは確かに時系列的にはわかりやすくなってる。オリジナル版は確かに序盤ちょっと分かりづらい印象だったけど、タホ湖から始まるシーンはマイケルの孤独や後悔がより感じられるもので悪くはなかったはず。もったいない。
次に、ドン・トマシーノの葬儀でマイケルが独白するシーンがまるまるカットされてる。オリジナル版では、マイケルの心からの独白が胸をしめつける名シーンやん。シリーズをとおしてもマイケルの人生を振り返る意味でも重要なシーンだったはず。ありえない!
最後、年老いたマイケルのアップで「シチリア人は〜」てメッセージが流れてENDに変更されてる。オリジナル版では、年老いたマイケルが椅子から崩れ落ちる印象的なシーンだった。マイケルの最期、シリーズ三部作の最期を噛みしめるシーンが…。ないわー。
他にもいろいろ気になるけど、再編集版をつくる意味はあったのかなー?そもそも、パート3はマイケルがやたら弱ってて懺悔するような展開が個人的には気に食わない。今回久々にみてあらためてそう思った。
マイケルは最後まで強くあるべきだった。パート2の頃のように強く孤独なマイケルのままであるべきだった。ほんと前二作と同じコンビの脚本とは思えないなー。というわけで個人的にはオリジナル版がおすすめ。